ど真ん中のストレートが打てないとき
もう得意技と言ってもいいくらいにくすぶり続けたこの数年間。ママは「田舎行くの行かないの?」とか「仕事やる気ないならやめちまえ」とか、ど真ん中のストレートをちょくちょく投げてくるのですが、いっつも見逃し三振、バッターアウトでした。
「これは確かにストレートだけど、ちょっと待てよ。このストレートをどの角度でどこへ向かって打つかという計画がまだ不完全なわけだしこのままスイングしたところで果たしてバットに当たるのか?」
「ストライクバッターアウト」
「ええ?」
「ええ? じゃねえよ。打てよ」
「これはきっと計画が不十分だったからに違いない。次のストレートが来るまでにもう一度計画の練り直しだ」
憐みの視線。空白の時間・・
暗転。
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無謀の壁
「田舎に行きたいね~」「行きたいね~」などと夜な夜なビール(第三)を飲みながら盛り上がったりして、でも現実的なお金の話になると急に無口になるお花畑夫婦です。田舎へ行って仕事を探して共働きでやっていくぶんには無理ではないのですが、やっぱり好きなことを仕事にして生きていきたいのです。そうなると突然巨大な壁がむくむくと起き上がってきます。なんかあるなとは思っていましたが、壁だったんですね。
堅実に子供の教育費だとか老後のこととかを考えると及び腰になるのは当たり前なんですけど、その向こうに行きたい自分はなにやら叫び続けています。「マジでこのまま終わるぞ」「よくないんだろ?どうするんだよ」「まだ本気出してないだけっていまだに思ってるの知ってんだぞ。だせー」
「うるさーーーーい。なんなんだお前は。お前になにがわかる?子供の教育費とかさ親として最低限のことはやってやりたいの。それをほっぽって自分の好きなことやる~じゃただのバカだろ」
「いいじゃん。その自分の好きなことで教育費稼げばいいじゃん」
「はあ?簡単に言ってくれちゃうけど、誰が責任取ると思ってるの?」
「おまえ」指差し。
「・・てゆーか、お前誰だよ」
「お前が後生大事にしている何かだよ」
何かが壁を越えたがっているのは何年も前からわかっていました。でも、ひょっとしたそいつは時間がたてば消えるんじゃないかとも思いました。そうして消えるようならそれだけのことだと。一過性の思い過ごしだと思えるかと。だけど、何年経っても消えませんでした。要するに奴が言うようにまだ本気出してないだけと思い続けていたいだけなんでしょう。そうして何もやらないことによって自分に何の才能もないことを思い知らされずに済むと。なんという卑怯者なんでしょう。どこかで俺はまだ飛べると思い続けていたい飛べない豚の寂しい背中。
三島由紀夫の潮騒という小説で次のような一説があります。
「その火を飛び越して来い。飛び越してきたら」
少女が若い男に向かって言うのです。男は躊躇なく飛び越えます。すごく印象的で心に残るシーンなのですが、いやほんとに飛び越えなきゃだめなんだよなあと。どこまでも引っ込み思案な私はそういう機会を何度も逸してきたように思います。挑発的な言葉と挑むような少女の奥にある覚悟、それはやはり炎のように燃えていて、考えるまでもなく飛び越えた男の固められていた少女への想いの跳躍、高揚。一線を越えるための儀式のようでもあり、火を間にして対峙した二人の越えるべきものへの戦いのようでもある。生き生きと命が燃えている。
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