ヤギと一緒に道草しながら畑の道を歩き続ける

詩と小説

浜辺の想い

今朝はとても朝日が柔らかく、今年初めて牡丹が白い花をつけました。あなたの好きだったロッキングチェアーが、表から吹く風の加減でひとりでに揺れているのを見ると、自然と思い出話が浮かんできます。

 

思えば以前には、登校拒否ならぬ出勤拒否を何度も繰り返したりして、当時課長をされていた宮部さんが夜中に訪問してこられて、そのたびに、明日は来い、明日は来い、と根気よく説得してくださったものです。あなたは夜中にうなされて、ごろごろと反転、煩悶した後に突然、むくっと起き上がったと思ったら、居間で頭を抱えながら煙草を吸っています。私も起きて向かいの席に座るのですが、訳を話してくれればいいのに、あなたは何も言わずに渋い表情で煙草をふかして、もう寝なよ、なんて。私も聞こえない振りをしてがんばるのですが、しまいにあなたは、明日は必ず出社するから寝てくれ、と言うのです。まったく、甘ったれた子供みたいな人でしたが、朝方に出かけるときのしぼんだ風船のような背中を見ると、何も言えなくなるのでした。

それが社内の健康診断を契機に大腸に癌が見つかり、一ヶ月ほどの入院期間にあなたは何を思ったのでしょうね。

幸いにも転移の可能性はほとんどなく、退院してしばらくは定期的に通院しながら自宅療養ということになり、会社のほうも何度も見舞いに来てくださった宮部さんがしばらくはゆっくり休め、と言ってくださったので、まずは一安心と胸を撫で下ろしました。ちょうど、この頃にロッキングチェアーを購入したのですよね。あなたはゆらゆらと揺られながら、一息に老人になったようだ、と言いました。とてもその椅子が気に入ったらしく、読書をしたり、庭を眺めたり、昼寝をしたりと、ゆっくりとしたロッキングチェアーの揺れ幅があなたには似合っているようでした。だけど、三十代にして本当に老人のようでしたよ。

それもそのはずで、手術後で体力がなくなっているためか、熱が長引いたり、日に何度も嘔吐をしてしまったりと、眉間に刻まれた縦皺の跡が大変さを物語っていました。それでもやはり、命拾いをしたという感慨があなたを前へ向かわせたのでしょう、お医者様に言われたとおり毎日朝と夕方に散歩をし、時折の腹痛に顔をしかめながらも順調に回復していきました。

あなたの揺れ幅を身近に感じ、世間という鬱蒼と茂った木々の切れ間にいるような、日溜りの安寧の時間の中に身を置いていた私は、いよいよ再び森林の中へ分け入って行こうとするあなたを見て、はっとさせられるのでした。私がこんなことではいけない、と気を強く持ち、迎えた出勤日の朝、背広に着替えたあなたは、背中を押してくれ、と言いました。どういうことでしょう、そのとき、この言葉のもつ意味が私には身に沁みるほど深く理解することができました。あなたの覚悟と弱さの葛藤、その先へ見据えた私たちの幸福。だけど、何だか気恥ずかしくて、それに追い出しているような気もして、深く吸い込む息とともに身震いするほどだったのですが、月日を経て生き甲斐に変わりました。そっと背中を押すと、あなたは一歩だけ進んで、大きく息をついてから言いました。定年退職したら海辺に小さな家を建てよう。

その不思議な朝の儀式は、肝臓に癌の転移が発見される三ヵ月後まで続きました。

私の自慢は、あなたの着る背広の背中に皺一つ、埃一つないことでした。何て言うのでしょう、玄関先に飾る睡蓮のように凛としたあなたの背中を見ることが生活の弾みになっていたのです。

あなたは一年もの間、苦しんで苦しんで、涙ながらに楽にしてくれ、と訴えていましたが、最後はモルヒネも効かずに七転八倒し、昏睡状態の中で死んでいきました。

私に残ったのは、あなたの背中の重量感と、海辺に小さな家を建てよう、という言葉でした。ときどき、重量感を手のひらに思い出しながら、私は必死になって働きました。思えば、悲しい思い出をふるい落とそうとして走っていただけなのかもしれません。

あなたの葬式が済んで数ヶ月経った頃でしょうか。仕事の帰りにどうしてもあなたに会いたくなって、霊園に足を運んだのです。すると、誰かがあなたの墓石の前であぐらをかいていたので、私は浮浪者がお供え物を荒らしているのかと思い、誰のとも知らない墓の卒塔婆を一礼して拝借し、少しずつ近づいていったのです。薄っぺらの木材ですが、角で殴れば追い払うことくらいはできるだろう、と頭に血がのぼっていた私は、罰当たりなことも意に介さず、とうとう顔が判別できるくらいに接近して、息を呑みました。宮部さんがあなたの墓前で酒を飲んでおられたのです。葬式では、何をする気力もない私に代わってすべてを取り仕切ってくださり、その後も落ち込む私に、今はまだ考える時間を持たないほうがいい、と仕事を紹介してくださいました。その宮部さんがしんみりと一口飲まれては、満杯になったあなたのグラスに溢れるのもかまわずに注いでおられるのです。本当に頭が上がりません。悲しみは忘れるのではなく、付き合い方があるのだということを教わった気がしました。拝借した卒塔婆の主がわからなくなって、こっそりその辺の墓石に返したことは内緒です。

それから三十年、いろいろなことがあって、結局、海辺に家を建てることはできませんでした。でも、私は時々海辺に近い旅館に泊まって、波の音を聞くのです。

きっと私の数限りない思い出は、浜辺の小さな砂粒のように寄り添い、集まって、太陽に照らされて輝いたり、波にさらわれて湿ったりしながら、ずっと、そこにあるのですね。

 

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